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2005/04/16

万博大学第2回講義ノート「ノーベル化学賞への道」野依良治氏

 ノーベル化学賞受賞者野依教授の講演を聴く。

 まずはこの地区へのメッセージ。21世紀は「知識基盤社会」となるであろうが、これは国民が知性を磨く必要のあることを示している。当地はモノ作りの盛んなところだが、知的クラスターにもなってほしい。「愛知」の名のごとく知恵を愛し、若い人たちは知的に精進していただきたい。
 野依さんのノーベル化学賞受賞は2001年である。この年はノーベル賞100周年の記念すべき年で、式典には130人が正装(燕尾服又は民族衣装)で集まった。野依さんもNのマークの上で国王から賞をもらう。
 野依さんの科学観はこうだ。科学研究とは、はてしなく続く「知の旅」である。目的地への到達よりもさまざまな出会い、良い旅をすること自体に大きな意味がある。優れた研究は優位の人を育て、また社会にも貢献する。(太字はスライド;以下同じ)科学は永遠に発展するものであり、その研究ではプロセスも大切だ。
 科学の役割について考えてみよう。人間はいつも環境(自然および社会)と対峙し、順応しながら生きている。大事なことは「自然を知る」こと、「文明を作る」こと、「文化を育む」ことである。それでは自然とは何か、そして私たちは?宇宙の誕生は137億年前のビッグバン。太陽系ができ、地球ができ、人類が現れたのはせいぜい10万年前だが、すべての生命の起源は同じであることがわかっている。DNAは「物質」であるが、それは宇宙の4%で、残りの96%はダークマターである。こういうことをすべての人が客観的に知ることができる、そのことにより謙虚に生きることができるのであり、まっとうな自然観が育まれる。そういう意味で基礎科学は社会的に大きな役割をになっている。自然観と世界観を変革した科学的発見はさまざまである。宇宙観はガリレオによって変わり、生命観はメンデルによって変わった。自然を五感で知ることには限りがあるが、科学や技術によって深く知ることができる。
 ここで野依さんは生い立ちについて語る。野依さんの父は化学製品の会社に勤めており、比較的裕福な家庭だったのだろう、神戸大付属小、灘中・高と進学する。自然環境と、良き友と先生に恵まれ、家にはあふれるほど科学の書物があったという。1949年、湯川秀樹氏がノーベル物理学賞を受賞し世が沸いたとき、父は湯川氏と近しいことを聞き、憧れと親しみを感じたという。その2年後、野依さんが中学に上がる春休み、父と行った東洋レーヨンの製品発表会「ナイロンは石炭と水と空気から生まれる」ことを知り、これが野依さんを化学へ向かわせる決定打となる。こういう環境の中で野依さんは化学への「憧れと感動、そして志」を高くしていった。そして57年にはビニロン発明者櫻田一郎先生にあこがれて京大工学部へ右と左の概念には、53年のDNA二重螺旋、56年のパリティーの非保存で出会う。
 子供たちには憧れや感動を与えるような具体的な物や人を示すことが大切である。ビニロンは日本初の合成繊維で、櫻田教授は当時中学生でも知っていた。現代ではそういう大先生がいない(のがさびしい)。
 野依さんの灘中・高時代は昭和26-32年。「精力善用、自他共栄」の校風の元、男は気力と体力だと思って柔道をやった。勉強はやりたいことをやるのが大切だ。偏差値なんかは愚の骨頂だ。
 60年、京大工学部4年、卒業研究で宍戸圭一、野崎一先生に師事、化学ほど面白いものはないと思った。大学を卒業して会社員になろうと思っていたのに、野崎先生に誘われるまま助手になって大学に残ることになる。そして27歳で運命との出会い、後にノーベル賞の発端となる研究に出会うのである。その後68年にはフグ毒の研修者平田義正から「名古屋の有機化学を良くしてほしい」と言われ名大助教授に。 しかし翌69年にはハーバード大学へ留学。米国の圧倒的な力に驚く。学問の差にも驚いたが、給料の大差(地位逆転してもなお10倍の差)にも驚いた。72年、理学部教授に就任、結婚。教授になってから結婚したので、内助の功はないことを「特記」したいそうである。   
分子の特徴のうち、基本的なものは次のようである。
・有限かつ一定数の原子の集合体
・原子の厳密な結合順序(=原子の結合長は0.1-0.2nm)
・立体配置(相対的、絶対的[左右])
・立体配座(すがた)
・物性と機能の発現
・設計と合成(各種化学反応の組み合わせ)

化学は観察のみでなく、無から有(価値あるもの)を生み出す科学である。そして野依さんの関心の焦点は分子の立体配置である。分子における左右(キラリティー、掌性)は炭素の原子に腕が4本あることからできる。すなわち分子式が同じでも分子の結合の仕方(配置)によって左右非対称鏡像異性体光学異性体)が生じるのである。こういう炭素を「不斉炭素」といい、分子の物理的数値は全く同じだが、生物現象、生命現象においては別のものになる。たとえば香料・食品添加物では味・においが別のものになってしまうし、医薬や農薬においては片方は薬だが片方は毒となることもある。サリドマイドはその典型である。左右のあるもののうち、一方は生体内のレセプターにぴったりとはまるが、もう一方ははまらない。それが毒性を持つことにつながる。かつてパスツールは、左右非対称について、無生物の化学と生物物質の化学との間に、はっきりと引ける唯一の境界線、無生物的な対称的な力が対称的な原子ないし分子に働いて、そこに非対称的性が生じるはずがないと述べたが、野依さんはこれを疑問として挑戦を続けてきたのだ。
 右手型と左手型の生成する割合は1:1である。それは分子の数がとてつもないものであるからだ。アボガドロ定数をここで考えてみる。アボガドロ定数(1モルの分子数)6.02×10の23乗である。これは18グラムの水の中に入っている分子の数だが、ぴんとこないと思うので具体的に見えるようにしてみる。たとえば、鉛筆で打てる打点の数は1分間に300-400である。これをアボガドロ定数分1人でやると10の15乗年(1000兆年)かかる。世界中の63億人で手分けして一斉に始めたら16万年かかる。あるいは、1分子が米粒大とするとアボガドロ定数は10の7乗立方kmすなわち東京ドーム100億杯、琵琶湖50万杯、日本全土に敷き詰めたときの高さ30kmである。化学者はこんな数を取り扱っているのである。そして科学者、教師は、学生に感動を与える教え方(それは具体的に頭に描けるもので見せることだ)を心がけるべきである。
 野依さんのもらったノーベル賞のプレートには左右対称の巻き貝が描かれ、片方は明るい色、片方は暗い色で描かれている。すなわち分子の左右を作り分けることを可能にしたのが野依さんの業績である。触媒を使うと、左右の比率を99:1もしくは100:1で生成することができる。不斉水素化反応の触媒は1974年から80年の6年間で開発された。この研究は野依さんだけでなく故人高谷教授の功績も大きいそうだ。6年の研究は長かったが、あきらめなかった理由について野依さんは、「分子が美しいと思ったからです。それしかない。・・・この美女をなんとか・・・きわめて情緒的かつ主観的なものではありますが、まあ、そういうことです。」と熱っぽく語った。科学には「思い入れ」も大切である。それは「確信」と言ってもいいが、「思いこみ(盲信)」はNGである。精神的な要素は仕事をする上でたいへんに重要である。

科学研究の評価の要素
 ・独創性   驚き
 ・普遍性   信頼、納得
 ・継続的な先導性
 ・科学的、社会的波及効果
    「分野の開拓」「雇用の創出」

野依さんが考える評価の要素は、まず独創性。研究は人と違うものでなければならない。また、驚きをもたらすものでなければならない。次に普遍性。多くの人が「腑に落ちる」ことが必要である。そして先導性、常にリードすることだ。競争の世界である。金もかかるしチームも必要だ。最終的には新分野の開拓と雇用の創出を伴わねばならない。最たる例はワトソン-クリックのDNA二重螺旋の発見だろう。これにより「分子生物」の分野ができ、ビジネスとしても大きな広がりとなった。
 科学と社会のかかわり 
科学研究知の営み)は純正分野である「知識の創造」と応用分野である「知識の活用」に分けられる。知識の創造は自然科学人文社会科学であるが、そこでは創造性、普遍性、啓蒙性が必要である。なかでも啓蒙性は「教える」こととしていちばん大きな役割を示している。一方知識の活用は産業技術で具現化されるが、それはもっと大きな科学技術の一部でしかない。応用分野としての産業技術には事業性がなければならないが、それだけでは駄目だ。文明社会に向けた科学技術を考えねばならず、そこでのキーワードは公共性である。科学は誰のためにあるべきか。それは未来の世代のためにあるべきである。我々の世代は十二分に恵まれている。化石資源問題など、世代間の不公平があってはならない。いま、人類生存のために、未来に向けてはっきりした答えが求められているのだ。科学は人類生存のためにある。分野融合により科学と技術が相携えて未来を見つめてゆかねばならない。
 20世紀技術革新の時代であった。我々の生活を決定的に変革した20の技術として最たるものは電力利用であり、以下、自動車航空機水の供給エレクトロニクスラジオとテレビ農業の機械化コンピュータ電話技術空調と冷蔵高速道路宇宙衛星インターネットイメージング・・・と続く。これらはアメリカの価値観なので、我々日本人には少しぴんとこない部分があるかもしれない。たとえば高速鉄道(新幹線)などを入れたいと思う。残念なのはこれらのなかに日本がゼロから始めたものが入っていないことだ。今後基礎科学に力を入れたいのはそのためでもある。またこれらの選択基準は公共性と長期的視点である。しかしこれらはすべて地球の枠組みの中で成り立っている。その前提が変われば直ちに破綻するものであるという認識を持つことが重要である。
 現代は矛盾内蔵型の社会である。そして当事者が責任を回避している。人口爆発、市場経済の蔓延(グローバル化)、産業技術の発展、生活様式の変化・・・過大な人間活動が深刻な気候変動と環境変化、そして資源・エネルギーの枯渇を惹き起こしている。現在の状況は我々が選択し自らを危機に直面させているにもかかわらず、責任を取らずツケを未来に渡そうとしている。
 メビウスの帯は、我々の価値観を端的に表している。メビウスの帯は、ローカルに見れば表は表、裏は裏である。しかしグローバルに見れば一つであって裏表はない。これは矛盾内蔵型の現代社会と同じである。我々の叡智によりこの矛盾を解決していかねばならない。
 今後重視していかねばならないことは、文明と文化の共生である。文明(civilization)とは、人知による技術的物質的所産としての近代社会の状況である。それは普遍的であり、流行し進歩すべく宿命づけられている。一方文化(culture)は、精神的特質であり、多様で、伝統としての永続性を持つものと定義づけられる。現代の状況は、文明が文化を踏みにじっているのではないかと思われる。日本が衰退しているとすれば、それは文化の衰退によるものだと思う。皆さん一人一人の文化度を上げることによって、まともな社会が作れる。
 文化の要素には、言語、情緒(感性)、論理(理性)、科学、がある。ベースになるのは言語である。言語がなければ何も始まらない。が、各要素は互いに尊重しあう関係でなければならない。学校教育の早い段階で文系・理系を分けるのは亡国への道である。文系の人は理系の学問に興味を持ち、理系の人は文系の学問に興味を持つことが必要である。
 人間が生きる真の意味は、世代の継承である。それは、「ヒト」としては種の保存(DNAの伝達)であり、「人間」としては文化の伝承である。われわれは何処から来て、何処へ行こうとしているのか。真当な自然観、社会観、人生観そして国民としての誇りを享受するため、科学と科学技術があると思っている。生は偶然、死は必然である。もし「悪」というものがあるとすれば、それは世代の継承を人為的に妨げるものである。最たるものは核兵器、軍事であろう。

講義後の質疑応答。たくさん手が上がった。野依さんは若い世代に答えたいようだったが、質問者は老若半々。しかしすべて男性。

Q 野依さんが就職を望みながらも大学に残って研究の道を選んだわけは?
A 野崎先生にだまされたから(笑)。人生は川に流れる笹舟のごとし。目的よりも川の流れの方が大きくなって、だんだん足が抜けられなくなった。人生には自分の意図を越えて運命の出会いがやってくるようだ。どちらを選んだら良かったかということになるとわからないが。

Q 教授になるにあたっては奥様の内助の功はなかったとのことですが、その後は?
A (大照れの様子)感謝するとすれば、自由にさせてくれたということ。それ以外は思い当たらない。
Q では、奥様にきいてみましょう。
A 男の人が自分の好きなことをするのを見ているのが好きなので、それでやってこられたと思います。

Q 先生の業績は左右の作り分けですが、自然本来の姿はどうでしょう?
A ゆらぎや増幅のメカニズムが知られており多説あるが確定した答えはない。

Q ノーベル賞受賞の雰囲気をもう少し話してください。
A 12月10日の授賞式より、10月10日の発表の時の方が大変だった。インターネットに出てからは、水を飲む暇もないくらいに忙しくなったし、ジャーナリストから逃げるのも大変だった。セレモニー自体は、華麗、荘厳なものだった。たいへんフォーマルで、晴れがましかった。

Q 6年にわたる触媒の研究の途中、迷いはありませんでしたか?
A 1人でなかったことが大きい。高谷教授、大勢の学生が助けてくれた。忍耐強く、協力的で、気長につきあってくれた。また、私自身は他の研究もやっており、気が紛れた。が、触媒の研究も忘れることなく続けたということだ。

 野依さん、毛利さんとも世代の継承のために人は生きねばならない、未来にツケを残してはいけないことを共通して話された。受講生の我々は、そのメッセージを一人でも多くの人に伝えねばならないだろう。地球とつながる生命の一つとして。

(お断り)この講義録は私個人のメモと記憶のみに頼って書いていますので、間違いや欠落もあるかもしれません。その点をお含みの上お読みください。(録音禁止ですからね)

(おまけ)今日からは愛工大での受講だ。早く到着して真ん中ブロック2列目の端の席をゲット。当然のことながら今回はスポットライトとかはないし、机もあって授業の雰囲気。しかも学生たちのにぎやかなこと。

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