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2005/05/21

万博大学第5回講義ノート「機械論的世界観からの脱却~生命誌の視点から」中村桂子氏

 JT生命誌研究館長の中村佳子氏の講演を抄録する。

 愛知万博のテーマは「自然の叡智」ですけれども、70年の大阪万博のテーマは覚えていらっしゃる方ありますか。学生さんたちは生まれる前の話ですが。そうです。「人類の進歩と調和」でしたね。今の万博の目玉はマンモスですが、あのときは「月の石」でした。科学技術が礼賛された時代ですが、すでに「調和」というテーマに気づいていた。水俣病や四日市ぜんそくなど環境問題が顕在化していたからです。
 振り返ってみると、我が国では、明治時代はヨーロッパに学び、富国強兵への道をたどりました。第2次大戦後、敗戦後は、アメリカに憧れ、民事事業による経済的成長と豊かな生活を実現しました。1970年代になり科学技術の問題点が顕在化、すなわち科学技術が巨大化し、ブラックボックス化し、安全性が疑われ出したとき、どこにもお手本がないことに気づいたのです。これからは日本が、こんなふうにしようよとお手本を示す時代です。21世紀へ向けての新しい科学技術を組み立てていかねばなりません。
 
 さて、「自然の叡智」って何? ということを考えてみたいと思います。自然はずっと昔から存在しています。調べれば調べるほど「叡智」と呼びたくなるものがあります。宇宙ができてから137億年、地球ができてから45億年、生命が生まれてから38億年、ずっと続いてきたのには何かがあったはずです。それを人間がどう見て、どう生かしていくかが課題です。
 考えるヒントとして、ブリューゲルの「楽園」という絵を見てみましょう。ここにはたくさんの動物が描かれています。ここに描かれている人間は、ムチでらくだをたたいて、自分の思い通りに動かそうとしています。ここではすべてを支配するのが人間の叡智です。
 それからこれはペルーの人が描いた絵です。森の中にはたくさんの動物がいます。ここで人間は森の神様から、ほかの生き物と一緒に森で暮らしていこうという通達をもらいます。
 では、日本の絵で、たくさんの動物と人間を描いたものはないか。探したけれどないんです。日本人が描くと人のいない自然になる。釣り人をちょこんと描いたような絵はあっても、生き物と人間との大きな関係を描いた絵はないんです。その中で選んだのが、この絵です。伊藤若冲の「池辺群虫図」(筆者注:アートボンさんのHPに図がありました)。これは池の周りを描いたもので、人工的だけれど全体としてはそれぞれがちゃんと生きている、幸せな暮らしを描いています。
ヨーロッパの絵では人間は環境を崩す存在として描かれています。ペルーの絵は自然と共存する存在になっていますが、60億の人間が生きるのは難しい。そこで、人工的だけど全体として・・・ということが組み立てられたら、日本人らしい問いかけになるのではないかと思っています。  
 これは、「機械」と「生命」の特徴を表にしたものです。
 
    機械  生命 
  -----------------
    進歩   進化
  -----------------
    効率    過程
    均一    多様
    量     質
  -----------------
   閉鎖系  開放系
   部分    全体
   合理    矛盾
  -----------------
   構造    歴史
   機能    関係
  -----------------
   還元    総合
  
 自然をこのままにしましょうといっても、実際にはできません。自然は動くもの、生きていて、変わるものです。いま地球上には5000万種類の生き物がいます。自然が求めるものは進化です。それは一つのものを目指して皆がそれに合わせるのではなく、多様化してそれぞれが質を高めるということです。たとえばヒトがいちばん優れた生き物として生物みんながヒトになろうとするのではなく、ヒトはヒト、アリはアリとしてそれぞれが質を高めようとするのが進化です。
 自然は過程を大事にします。機械は効率を大事にします。メーカーは早く作ろうとします。そういう視点からいえば、生き物も生まれてすぐ死ねば効率的です。ところが毎日毎日泣いたり笑ったりして生きている。無駄ですが、生命はプロセスを大事にします。お米は1年に1回しか穫れませんが、収穫を縮められません。私たちが子供を育てるとき、機械のように接していませんか。あれもこれも早く早くと言っていませんか。

 これは「生命誌絵巻」です。私が頼んで描いてもらった図です(筆者注:財団法人塩事業センター主催の中村佳子氏講演録に画像があります。今回の講演内容とも主旨が同じですから一読されることをお薦めします)。扇の縁には今生きている生きものが描かれており、下の方にはその生きものの祖先が描かれています。
 生きものはすべて細胞からできています。どんなに人間によく似たロボットができたとしても、ロボットは細胞でできていないので生き物ではありません。細胞の中にはゲノムがあり、それによって生き物の性質が変わります。これは大腸菌の顕微鏡写真です。菌の周りにたくさん出ている糸のようなものは、大腸菌のDNAです。よく見ると一本の糸になっています。この中に遺伝子が入っています。生き物には細胞が一つだけのものもありますが、たくさんのものもあります。生き物が生まれてからの38億年の間に、いろいろな細胞が生まれ、いろいろな生き物が生まれ、自然の叡智と言われるいまの状況ができました。いまの自然はどうやってできたのか、自然の本質はなにか、そういうテーマを38億年の流れの中で考えるのが生命誌です。扇の縁に次に来るものが、38億年の流れを変えるものであってはならないはずです。
 生物学をやっていると、みんなそこに戻るような「スタート地点」の存在に気づきます。生き物はすべて、たった一つの細胞(1個という意味ではなくて1種類ということですが)で始まりました。わんちゃんも熊さんも私たち人間も同じところから始まったのです。あなたのゲノムの中に38億年の歴史が入っています。ゲノムの解読は38億年の歴史を知ることです。キノコも途中までは動物と同じ道をたどってきました。むしろ植物より動物に近いところを来たことがわかっています。こんどシメジを食べるときに思いだしてみてください。
 科学技術文明の見直し
nakamura

(中村氏のスライドのメモ;下手ですみません)
 これは私が考える世界です。人だけが二つの世界を作っています。科学技術を作り出す人間でありながら、自然の一部であるヒト。しかし人間が作った科学技術が、自然を破壊し、ヒト自身の内なる自然をも破壊しているようにに思われます。内なる自然の破壊は、たとえば食の安全性であったり環境ホルモンの問題であったりします。
 「便利」とは思い通りになること、早くできることです。それは効率を重視します。しかし生き物は早くできません。桃栗3年柿8年というし、促成栽培の朝鮮人参は形は同じでも成分は違います。思い通りにならないから、思いがけないことを楽しめるのです。それはプロセスを楽しむことです。日本はいまでは世界一自給率の低い国になってしまいました。砂漠であるならいざ知らず、お日様の光と水、空気、適切な気温の変化、すばらしい土があるのに。土はミミズが作ります。土には生き物がいっぱいいます。この日本でなんで農業やらないのでしょう。
 生命誌が私の仕事ですが、そのわきで私は農業のお手伝いをしています。農業高校の学生はたいへん活き活きしています。
 自動車をつくるには設計図と部品がいります。我々は思い通りに、早く作れます。しかしコメをつくるのは設計図と部品ではできません。イネを「育てる」んです。くるまを「作る」のとは違います。そして子どもを「つくる」、これは子どもが「生まれる」んです。「恵まれる」んです。「作る」とは別の発想が含まれるんです。
 ドリーは、ほ乳動物ではじめて生まれたクローンです。クローンの研究は「生き物」をつくろうとしてやっているのではありません。単にゲノムを卵に入れただけで、技術の開発です。そしてこの後わかってきたことがあります。遺伝子は2つで対になっていますが、父親から来たものは1回卵を通ったときある目印が付けられます。インプリンティング--刷り込みといいますが、父親から来たものでなければ働かない遺伝子、母親から来たものでなければ働かない遺伝子があることがわかってきました。受精を通らないと駄目なんです。このインプリンティングが行われるのはほ乳類だけです。ドリーは一見羊ですが、生き物としては多分うまく働いていないところがあったようです。生き物にはプロセスがとても大切なのです。プロセスとは一言で言えば時間です。生き物を大切にするとは、時間という問題をみんなで考えることです。
 最後に「愛づる」という言葉を紹介します。平安時代に書かれた「堤中納言物語」に「虫愛づる姫君」という話があります。このお姫様は毛虫を飼っていて、周囲は気味悪がるのですが、「じいっと見てごらんなさい。この毛虫が蝶々になるんです。蝶々の美しさの本質は全部この中にあるのよ」と言うのです。本質が見えたときにすばらしさが見えてくるから大事にする、それが愛づるということです。600年前の日本にこんな考え方が生まれていたのです。自然の叡智というとき、底には必ず愛づる気持ちがあります。この言葉を持っている日本人には、池辺群虫図に見た、生き物の一つ一つが楽しそうに暮らす世界をつくる知恵を発信できるはずです。
 虫愛づる姫君は、眉は剃らず、お歯黒はせず、耳かけの髪の、という当時では常識はずれのなりをしていました。言葉だけでなく、態度でもナチュラリストだったんですね。
 21世紀の暮らしやすい世界をつくる力は日本人がいちばん持っている、と思いながらものを考えていこうではありませんか。

 今回は質問者がなかったので、JT生命誌研究館の紹介をしてもらった。
 いらしていただくのを原則にしているんですが、少しご紹介します。生命誌研究館は「Biohistry Reserch Hall」です。生命誌はBiohistryです。Histryをギリシア語辞典で引くと三つの意味があります。一つは、探求する。足跡を追いかけるのが元々の意味です。二番目は、記す。書き記すことです。そして三番目に歴史。「誌」という文字を使ったのは、みんなで生命の物語を作ろうという意味です。Hallはコンサートホールのイメージです。芸術は一流の曲を一流の演奏者がやっているところに一般の人が来る。なのに科学は一般の人が来られない。一流の研究を一般の人に見せたいという気持ちがこもっています。
 生命誌研究館は高槻にあります。ぜひ一度いらしてください。
       
 
(お断り)この講義録は私個人のメモと記憶のみに頼って書いていますので、間違いや欠落もあるかもしれません。その点をお含みの上お読みください。今回は迷った末、話し言葉にしてみました。しかし、逆に言い回しが気になりました。語尾まではメモにないので、もしかしたらニュアンスの変わってしまったところがあるかもしれません。

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