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2005/08/29

万博大学第11回講義ノート「人間の心と社会のあり方」河合隼雄氏

今回は文化庁長官であるユング派の臨床心理学者河合隼雄氏から、人間の心と社会の相互関係を学んだ。「年取ると自分に都合の悪いことはすぐ忘れる」と河合氏が言うように、私も発信禁止のおふれは忘れて書いてみよう。

 「人間の心によって社会が作られている」と考えがちだが、実はそうでない。社会が人間の心に影響する。人間の心と社会の、お互いの相互関係を知る必要がある。
 近頃の大学生は元気がないといわれる。昔は学生運動が盛んだった。イデオロギーを変えるための運動だった。しかし一つのイデオロギーで変わるほど社会は簡単ではない(何にもかわらへんで)。今の人はそんなことは考えない。イデオロギーで社会が変わると思った時代は終わった。司馬遼太郎が対談で語ったが、昔の学生のような「高温爆発型」ではなく、今の学生のような「低温発酵型」でないと社会は変わらない。
 

 文化ボランティアに入る学生が増えている。新しいことをやる者は、建設と破壊と両方できないといけない。しかもそのバランスが難しい。今の学生は大学間の壁を破壊した。これは大したことだ。壁を破壊するようなことは今の日本で大切だ。
 心と社会の相互作用のあり方を現代の日本で考える。 現代の日本社会は問題があると思っている人が多い。しかし実際は他国よりいい方だ。たとえば犯罪。アメリカでは殺人くらいでは新聞に載らないし、ロシアでもそうだ。日本はまだまだ安全だ。それに昔と今と比べたら、今の方がよっぽどすばらしい。学校にしろ結婚にしろ、個人の自由がある。「今が悪い」と言う人は、そう言う方が楽なのである。心に不安を持っている、その自分の心の不安を、社会が悪いのだと認識することで楽になるのである。それなのに現代の人間の不安が昔の人間より高いのはなぜか。昔の社会は不安だらけだったはずなのに。
 死んでからどうなるかわからないから不安なのである。死んでからどうなるのかを、江戸時代の人は知っていた。民俗学者柳田国男氏は、そこにいるだけで心が落ち着く人だったが、彼は「先祖の話」の中で「死んだらご先祖になるんです」と言っている。行く先がわからないと行くのは不安だ。
 「死ぬ」をどうするか。昔は解決策を持っていた。「食べてすぐ寝ると牛になる」というように行く先がわかるから死んでも大丈夫なのだ。血のつながりはいちばんわかりやすい永続性のあるものだが、日本の社会は不思議なことに血縁より家名を大事にした。たとえば河合家の長男はできが悪いから三男が継ぐとか、廃嫡にして養子をもらうとか。家がつながればいいのであって血はつながらなくてもいい。そういう意味で日本は能力主義であった。だからお家騒動も多い。韓国などは無能でも長男が継ぐと決まっていて、その長男を皆が盛り立ててやっているのである。外国へ行くとよく聞かれることが、なぜ日本だけが近代化に成功したのかということだ。他国は血縁関係で固めているため、能力のない者が上の方にいる。明治維新は血縁を無視して能力のある者が上に立ってお国の一大事に対応した。維新が終わって世の中が安泰になった途端、血縁関係を大事にするようになって改新の勢いは失われた。
 血のつながった者は残る。地縁、土地のつながりがムラである。「死んでも大丈夫、みんな続いていくんですから」というのが日本人の感覚だ。これとまったく違う考え方が一神教の考え方だ。それは、神と私のつながりを第一とする。地縁、血縁は二の次だ。キリスト教はヨーロッパだけに起こった。キリストは神でもあるが人でもある。人々は神の言うとおりでない方がうまくいくこともあるのに気づいた。人間は自分でできることがわかって、個人の能力を尊重する社会になった。近代の個人主義である。イスラム教では神が強すぎて、それ以上に人が努力しなかったので、個人主義は生まれなかった。
 個性の尊重とは。子供が寝そべってせんべいを食べているとしよう。今時の子供に効き目のある言葉がない。「アリが来るぞ」としかってみたところで、殺虫剤をかけりゃいいだろうという答えが返ってくるだけである。ヨーロッパではこういうことは起こらない。神が駄目と言うからだ。善悪の判断がきちんとしている中で個人の能力を伸ばすのがヨーロッパのやり方で、日本はただ好き勝手にやっているだけだ。だからヨーロッパでは個人主義が利己主義にならないが、日本ではなってしまう。利己主義にならない個人主義を日本人全体で考えねばならない。
 もう一つの日本の大きな課題は、心の豊かさをどう実現するかである。日本は経済的には豊かになったが心が貧しくなったという人がある。しかし急に貧しくなったのではない。心は前のままなのでそう見えるだけである。モノの豊かさにこころがついていっていないだけだ。戦後はあまりにモノがなく、モノさえあればよくて、文化は考えられなかった。文化庁のPRを三分間言わせてもらえば、あまりに文化のことを考えなさすぎた。文化、そんなもんでもうからない、だから予算は増えなかった。しかし最近、モノに見合うような心が鍛えられなければならないとやっと気づいたと言っていい。
 私が子供の頃は「もったいない」という言葉が大切だった。「もったいない」を教えることが宗教的な教育だった。日本人は、倫理とか宗教とか取り立てて言わなくても生活の中でやってきた不思議な国民だ。そういう認識は持ってほしい。欧米人と話をするとあなたの宗教は何とよく聞かれるので仏教と答えることにしていたが、答えればさらにそれはどんな宗教かと聞いてくる。戒律とか教会とか教典は日本国民は持たない。そんなものはなくても生活の中に仏教が入っているのだ。「もったいない」は単なる節約ではない、ものそのものが大事という感覚、ご飯粒一粒一粒が大事という感覚である。「いただきます」とか「おかげさんで」と同じだ。自分を越えた存在に向かって、自分が生かされていると認める感覚であり、宗教性がある。
 しかし、最近はその宗教性が通じなくなってきた。「もったいない」はモノがないことが前提だ。かつての日本では、普通の家に育っていれば、人の心を察することが自然に身に付いた。ふすまで仕切られただけの日本の家では、えへんと親父が咳払いすれば今日はおとなしくしていようと思ったし、ばたんとトイレのドアの音がすればノックしなくても入っていることがわかった。一つしかない囲炉裏やこたつには何も言わなくても自然に家族が集まった。親の背中をみて子供が育つというのも日本人の生き方だ。今は「もったいない」と思う生き方を壊している。モノはいっぱいある。
 欧米の家は個室があるが、その使い方は家によって違う。たとえば15歳までは個室があってもドアを開けておくとか。努力して家族が関係を持とうとしている。「ニッポン人には、日本が足りない。」の山形の温泉旅館女将藤ジニーさんは、日本人の家族がバラバラなのを残念がる。今の日本人家庭の共通点は一つの住居に住んでいることだけだという。
 昔の家では意識的に努力しなくても家族の関係は保たれた。いまはその仕掛けを全部壊してしまって代わりのものがない。老人ホームでもアメリカ人が親に会いに行く回数は日本人よりずっと多い。努力しないと家族の関係は続かないのだ。欧米のものを取り入れたが、社会をどう作るかをあまり考えていないのは、日本だけでなく中国も韓国もだ。生活様式だけでない、もっと根本的なものが変わってきている。
 もう一つの課題は科学技術の発達である。人間はモノと違うから簡単に扱えないということを忘れている。マニュアルどおりにやったらうまくいくと思いすぎだ。人間はマニュアルどおりにいかない。世界中の天気がわかっても、奥さんの心に低気圧が発生していることがわからない。今の社会は関係性喪失の病にかかっている。 心を豊かにして、心と心のつながり、心のあり方、それと科学技術を考えていかねばならない。

Q 進路に迷う学生にアドバイスを。
A 進路に迷うか迷わないかは人による。僕は京大工学部の鉱山学科を受けようと思ったけど、兄に聞かれて入りやすいからと言ったら叱られた。それで好きな数学科を選んだ。ところが数学科は3年に一度は優秀な学生がでるが、あとはかすだと聞いて嫌になった。 卒業後は高校教師になった。でもマンネリズムで堕落した現実を見て、教えることに進歩が欲しくなり、臨床心理学を学びだした。数学の教師をしながら高校生の相談を受けた。しかしその次は、自分が人の相談を受けるに値する人間か自信がなく、何度も止めようと思った。
自分は本来何をしたいかを追求してみたらいい。人と3,4年遅れても何も問題はない。

Q 関係性ということについて、嫁と姑の関係でアドバイスを。
A 嫁と姑の関係に限らず、人間関係にはいろいろなのがあり、スタンダードはないということをまず申し上げる。私がこの嫁と生きていくにはどうしたらいいか?ということをスタートに考えればいい。(中略)しかしなかなか難しい。踏みしめ踏みしめやっていくしかない。本当に、家族のことをするのは会社やるのと同じくらい大事業だ。その大事業を引き受けてやりましょうと思いいながらいくしかない。

Q モノに対して人の心の豊かさが追いついていないということだが、文化庁長官としてはどのようにしてやっていくのか。
A ものに書いてもテレビでしゃべっても、ある程度は通じるがそれまでだ。しかしある程度を繰り返していくしかない。今日のように直接の機会を与えられたときはがんばってしゃべるが。

Q 人の悩みを数多く聞いても明るくユーモアたっぷりでいられるのはなぜか。
A 悩みや苦しみは後でプラスになることが多い。ゴミ箱の中にダイヤが入っているのでこの商売はやめられない。ある相談者が、死にたい死にたいと言っていたがそこから立ち直ったことがある。相談者自身が気づくのを待つのである。3年、5年とかかるが、変われる。彼が後に「生きたいという気持ちを死ぬという言葉でしか言えなかった」と言った。そんなふうに鍛えに鍛えられて、ちょっとやそっとでは辛くならないのも事実だ。

(お断り)この講義ノートは私個人のメモと記憶に頼って書いていますので、間違いや欠落もあるかもしれません。その点をお含みの上お読みくださり、間違い等があればご指摘いただけると幸いです。

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