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2008/03/19

グアム探検トレッキング(2)

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ケン芳賀氏がトレッキングを主催する目的の一つには戦争の真実を伝えるというのがあるに違いない。特に若い世代に、60年前の同世代が何を思って死んでいったか、彼らの死を無駄にしてはいけない、ということを伝えるべく、熱っぽく語っていた。私は2日続けてアサン湾を見下ろす丘で話を聞いたが、そのように感じた。

丘から見える風景1 アプラ港
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現在は米軍の基地があるが、戦時中は日本の海軍基地があった。写真では見えないが、現在の造船所の奥に零戦の滑走路がくっきり見えていた。

2 アサン岬
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戦争末期にこの海を米軍艦隊が取り囲み、日本軍は敗退した。小高い三角のところに米軍は本部を置き、後退した日本軍に向けて銃弾の壁を作っていたという。残った日本兵はそこに向かってこの丘を下ったという。弾に当たらないように死んだ兵士を背に負ぶって匍匐前進したらしい。

3 アメリカ人ツアー
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芳賀氏はおどけて話していたが、全く逆の立場から見ているであろう、アメリカの人たち。芳賀氏は「きゃつら」という言葉を使っていたが、思いは誰も同じだと信じたい。

丘周辺の風景 1 戦車
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ルート1をルート6に折れてすぐの道路脇に、日本軍の戦車がある。こんな小さなものかと悲しくなる。

2 防空壕
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ルート6を登ってくる途中にある。

3 標準点?
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山頂にある使途不明のもの。1mほど離れて文字の刻んでないものもある。

4 薬莢
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最後の激戦地を歩くと、未だにこんな薬莢が落ちている。

5 用水管?
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川沿いに残る鉄管。

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コメント

こんな激戦区で、よくもまあ横井さん
生き残ってきたもんですね、28年間も。
タロホホ川という名は、わたしの耳にも
タコができるくらいに聞きましたよ、あの当時。

横井さんのいたあたり、ドライブに行った先だったと思います。
http://nobineko.cocolog-nifty.com/nobinobi/2008/03/post_7aa5.html
あっちのほうは今でもさらに人が住んでいない感じでしたから、その昔は潜伏しやすかったんじゃないかしら。安易な言い方に聞こえたら申し訳ないですけど。

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